1月26日から今日2月1日までの日記(日付入りメモといったほうがらしいかも)に数枚の写真を添えて公開します。

2021年1月26日
初めての在宅勤務
職場で仕事中いきなり寝転ぶなんてことはとてもしないけれど、家でだったら人の目も無いしベッドもあるしたやすくできそうで、でもそんなことをしないように自分で自分を見張っていないといけないな、なんかしなくてはいけないことが増えてしまって嫌かもな、ってはじめは思ったけれど、時間が経って慣れてくるとそんなこと考えないで作業ができた。通勤時間0分だし、休憩時間に食べれるものの幅も広がってうれしいし、在宅はすてきだな。

倫理が足りてなくて人を傷つけたかもしれないと反省して、倫理を私に入れなおすためにロン・クラークの「みんなのためのルールブック」を読んだ。

年末に買った千両がまだ飾られている。多くの部分は痛んだので捨ててしまったけれど、ほんの一部だけ残っている。すごい。
私にとっての理想の住まいには切り花が飾られている気がする。しかし花を絶やさないよう買い続けるのは経済力に見合わないかも。最近親と市民農園の抽選に申し込むのはどうかって話をしたけれど、それもいいのかもしれない。しかし植物を育てる自信があまりない。悩ましいな。

換気をしようと思って窓を開けると空気がぬるい、春が来ちゃうんだなって思う。私は夏の終わりから冬にかけての冷たくなっていくかんじのほうが好きというか、得意というか、苦手じゃないってかんじなのだけど、でも見た目(?)が可愛いのは冬の終わり(木のでこぼこ)~春(花)~初夏(新緑)のあのめまぐるしい季節だとは思う。でもあまり得意ではないのだよなあ。そして夏は苦手。


2021年1月27日
破滅 って辞書で引く 広辞苑では、やぶれほろびること。ほろびること。また、やぶりほろぼすこと。って書いてあって、明鏡国語辞典では、根底からほろびること。存立できなくなること。って書いてあって、精選版日本国語大辞典では、人格、家、国、教説など、ある種の抽象的存在が、くずれて成り立たなくなること。またそうなるようにすること。滅亡。って書いてある。魅力的な言葉で、心をひきつける。

母が作ったもち麦入りのミネストローネスープが美味しかった。今まで我が家で飲んできたミネストローネはなんだかあっさりし過ぎていて物足りないってかんじだったのだけど、もち麦を入れてとろみがついて、これだ!ってかんじのスープになっていた。オレガノがきいているのもよかった。今度自分でももち麦を入れたスープを作ってみたいと思った。

人を直接的に愛することには問題点が多すぎる気がする。人はなるべく、なんとかして間接的に愛したほうがいいのでは。みたいなことをぼんやり考える。たとえばその人の描いた絵が好き、ってのはとてもいい気がする。その人にしか作れないものだし。そのときの偶然の線のかすれ具合とかまで愛おしく思えたりするのも絵の場合はいい気がする。人間の場合はどうなんだろう。人間を直接、本気で真面目に、絵の線のかすれみたいな部分まで愛することはどこか忌まわしい感じもするというか…不吉な予感がしないかな?気のせいかも。

優しさも間接的な優しさを使う人になりたいような気がする。他人の心の柔らかいところを玩ぶような優しさではなくて、なんかこう…木とかを植えて…すると視覚的にも嬉しいし美味しい空気も作りだせて…みたいな、心を直接とかではなく環境を良くしてあげるみたいな優しさがいいな!(?)と思うのだけどどうしたらいいんだろう。

そういえば人の命を直接助ける系の募金よりは緑化系の募金をしたいかもみたいなことを考えたことがある。

そういえば藤堂志摩子さんは環境整備委員会みたいなのに所属していた気がする。この前メルカリでマリア様がみてるのドラマCDのセットを買ったので少しずつ聞いている。順番はばらばらに、2枚組のものでも1枚だけ先に聞いたりしている。佐藤聖さんと藤堂志摩子さんの声が全然違う雰囲気というか響きで、でも白き花びらとロザリオの滴を聞いたら同じようなことを言ったりしていて、なんか微笑ましい気分になれてよかった。違う声で似たこと言うの良いかも。

2021年1月28日
昨日撮った写真を見て昨日考えてたことを思い出す。シムーンというアニメが好きで、その背景に描かれる空(雲)がまた好きなのだけど、昨日は額に入れて飾ったら素敵なんじゃないかって考えた。それで、色んな空の絵が飾られている部屋というのは窓と窓の外がたくさんあるみたいで面白いかもしれないとも考えて、その飾られている絵のミニチュア版を作るのはどうだろうとも考えた。粘土か何かで小さな額をいくつも作り、小さな絵もいくつも用意するみたいな案。実行するかどうかはわからないけれど、空の絵を描くときの参考資料として今見える空を撮っておく。写真に撮ると全然見えてるものと違うものになる。…そんなこんなで撮った一枚だったのだけど、なんかユトリロの絵っぽい一枚だな、って今日見て思った。

2021年1月29日
27日に書き忘れていたことがある。私は苦手な食べ物を聞かれたらレバーとかホルモンとかって答えるんだけど、久しぶりにレバーを食べてみたらそんなに不味いと感じなくて驚いたのだった。あれはほんとにレバーだったのかなあ。レバーにもいろいろあるのかもしれない。

朝、ご飯を食べたりしながら岡崎律子さんのlife is lovely.を聞いた。これは朝っぽいCDだなと気づいた。朝に似合うというかふさわしいというか。春の曲も多いし。そういえば春は朝っぽくて夏は昼っぽくて秋は夕方っぽくて冬は夜っぽい気がする。やっぱりreminiscenceが可愛い。

夜ご飯が良かった。細く切って焼いたじゃがいも(ポムパイヤソンを作ろうとして失敗した)と、ローズマリーとにんにくと塩とコショウで味付けした鶏肉とパプリカと玉ねぎをオーブンで焼いたやつと、かぶと豆乳のポタージュを作った。昨年末にyamyamさんにかぶと豆乳のポタージュ味にしてもらって喜んで以来作って食べてみたいと思っていたのをようやく実行した。そしたら美味しかった。うれしい。また作りたいので覚えている範囲で材料と作り方をメモしておく。鍋で玉ねぎ半個くらいを細かくきったのを炒めて、ベーコン切ったのとカブの皮を剥いて適当に切ったのも少し炒めて、水を250mlくらい(だった気がする、あやしい)入れて、コンソメ顆粒を小さじ1よりちょっと多いくらい(すりきりより少し多く入れた記憶)入れて、カブの茎もちょっと入れて、煮て、カブが柔らかくなったら潰して、カブの葉もちょっと入れて、豆乳を250ml入れて、ちょっと煮て、胡椒と塩をいいかんじの量入れて、できあがりました。

可愛いスープカップがほしいな。

粘土を注文しておいた。

2021年1月30日
朝食後のデザートにパフェっぽいものを食べて美味しかった。バニラアイスに純ココアをふりかけ、薄く切ったバナナと小さく切り分けた金柑と細かめに割ったクルミとラムレーズンをのせた。深みのある…ボウルというのか鉢というか碗というのか…そんなお皿に載せたのだけど、なかなか可愛かったので写真を撮っておいた。パフェではなくパフェっぽいって書いたのは、パフェの定義が気になってとりあえず辞書を引いたら精選版日本国語大辞典だとアイスクリームに、果物、チョコレート、生クリームなどを添えた冷菓。で、広辞苑だとアイス-クリームと種々の果物・シロップ・生クリームなどを細長いグラスに盛ったもの。で、明鏡国語辞典だとアイス-クリームにチョコレート・生クリーム・果物などを添えた冷菓。って書いてあって、広辞苑にある細長いグラスってのは当てはまらないなってなったから。

細長い正統なパフェとボウルパフェ(?)では、食べ心地がだいぶ変わってくる気もする。細長いパフェを掘り進めるように食べるときの、景色が変わっていくかんじとか決められた道を行くかんじとか引き返せないかんじは独特だなと思っていて、楽しいとも思うけれど、独特なだけあって好ましく思えない人もいるんじゃないかなとも思う。横幅の広い器に盛ったパフェは、どこから食べるか、どの具を一緒に食べるかの自由度が高いのが嬉しくかんじる場合もありそう。本格的な、計算というか設計というか意図の盛り込まれたプロの細長パフェを理想のものとするとしても、適当に作る素人のパフェなら横長にして、自由というか偶然の味の混ざり方を楽しむのがいいかもとか考える。

そういえば昨日、二等辺三角形というかピザの一切れみたいな形のショートブレッドを食べたのだけど、良い先端だなって思った。ショートケーキの先端とか、苺の先端とかも良い。一口目で食べがちなところです。美味しく感じる気がするというか…美味しいというより嬉しいかな…?

2021年1月31日
今日は朝食べた昨日の残りの炊き込みご飯が美味しくて良かった。昨日の夜も美味しかったから昨日の日付で炊き込みご飯を作ったら美味しくできて良かったって書いてもよかったかも。あと昨晩はまた食べたいしベーコンも残ってることで再度かぶと豆乳のポタージュを作りもした。一昨日より多い量を作った。

美味しいものは良い。でも最近は手間のかかるめんどくさい料理をわざわざ作ろうって気合は無くしてしまって、今日も昔買った餃子や小籠包の皮を作るとき用の小さな麺棒を粘土を伸ばすものに転用した。もう使わないかなって思って。そう、粘土で額を作る試みは…あまり上手くいかず…試行錯誤してみたらどうにかなりそうなんだけど途中で飽きて投げ出してしまって…こうして記しておきたい出来事ってかんじではないのだけど、麺棒のことは書いておきたかったのかな。わからないや。

「細い線」という言葉…というか表現を見かけて、使えそうだな使ってみたいなって思った。直喩法で…のようだってつけるための実際の細い線ではなくて隠喩的なというか…ものを喩えるというよりはそういうものがあると見立てるときのものというか…なんかそういう架空の細い線です。

概念という言葉をよく分かってなくて、使えない。よく見かける言葉ではあるのだけど、辞書を引いても良く分からない。ためしにツイッターでフォロー内検索してみるとたくさん引っかかる。ツイッターでの用例をみているとなんか分かる気もしてくるんだけど、でもやっぱ自分で使用するために足るほどの理解というか納得というかはできない。

2021年2月1日
今日はムラのある灰色の曇り空を見たけれど、曇り空ならもっと白っぽくてムラの無い…平坦とかのっぺりっていうのかな、そんなかんじのやつが好き。昔筆の跡の無い油絵(絵具は厚く塗られていてキャンバスの目は見えない)をみたことがある気がするんだけど…そんなかんじで白くムラなく広がる曇り空をみると筆跡が無くてすごい!って気分になる(?)ムラが無いとはいっても、デジタル絵のバケツ塗ともポスターカラーの一色塗りとも違って、白と言っても真っ白ではないから絶妙な灰色なわけで、雲も均一に空に広がってるわけではないだろうからほんとうに厳密にムラが無いわけではなくて…またその白さは雲の後ろの太陽の光なわけで…なんか…いいよね…!(?)とにかく、曇り空なら雲の形が見えなくて、灰色というよりは白色に感じるくらいの明るさのものが好きです。

2021年2月1日 翠ぱーか

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